大分でのビューティフル・ライフを満喫するプロジェクト


by dze03247H
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必死剣 鳥刺し

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【鳥刺し】
それは、必死必勝の剣 その秘剣が抜かれる時
遣い手は、半ば死んでいるとされる。


このフレーズに魅せられて「必死剣 鳥刺し」を観にいってしまった。
ただ、理由はそれだけではなかった。
もう一つどうしても観に行かなければならない理由があった。

私の家のリビングの左右の床の間のうち右側の方には摸造刀が二本飾ってある。

写真の左にある、縦置きの刀掛け台は武田信玄の軍師であった山本勘助の愛刀、陣太刀「左文字」。
右にある横置き刀掛け台には、新選組の中でも一番の腕だと謳われた沖田総司 愛用の名刀「加州清光」。
新選組隊士の所持する刀の中でも最高の名刀と言われていたとか。

日本刀は本当に美しい。ただそれだけはない、武士の誇りであり魂でもある。
私は当然武士ではないが、いつもかくありたいと望んでいる。

また過去の話になってしまうが、今から3年半前、私は某国家試験を目指すべく、それに専念するため会社を辞めた。 
そして朝から夜まで、毎日図書館に通っていた。

ある夜、友人が訪ねて来た。知人の示談交渉をお願いしたいとのことだった。
私は、受験生の身であり、さらに それは非弁行為になるからと執拗にその依頼を断った。

しかし、問題はそう簡単なものではなかった。その友人には大きな借りがあったし、
経緯を詳しく聞いても、依頼人の方がどう考えても被害者であったし、極めて不利な立場にあったのだ。
結局のところ断れなかった。


私は友人に、相手方の弁護士が、事件性必要説の立場において、この示談交渉が弁護士法第72条に抵触しない旨の念書を差し入れることを理由に、依頼を引き受けることにした。

そして、代理人ではなく立会人として、弁護士と接見する場合は、必ず依頼者の同伴を絶対的要件とした。

何故、他の弁護士に依頼しないのかと尋ねると、全くの無資力だと言うのだ。

私はどうせ相手方の弁護士がこんなことを認めるはずもないし、念書なんか書くわけがないと高をくくっていたのだが、後日、予想に反して弁護士から会いたいとの電話が依頼人にあった。

依頼人は三十代半ば位の黒髪の美しい綺麗な女性だった。
私は依頼人と共に弁護士に接見した。
確か1月半ばだったと記憶している。

ヤメ検弁護士だった。聞くところよると暴力団専門の検事だったらしい。

その弁護士は念書を私に手渡すと、静かに語りだした。
「辞めるなら今の内ですよ。所詮、受験生ごときがプロに対抗できる訳ないでしょう。」
どうも素性がばれているようだった。

私は実印を押した立会人承諾書と印鑑証明書を弁護士に差し出した。
そして「私も全く同感です。」と小声で言った。
弁護士は、何も言わず、光にそれをかざしながら印鑑の照合を行っていた。


なんと頼りない立会人なのだろうか。私はどうも乗る気がしなかった。

それから、弁護士は録音テープのスイッチを徐に押すと、依頼者に対して尋問を始めた。
殆ど恫喝そのものだった。依頼者の女性は5分ともたず泣き崩れた。

私は何の準備もしていなかった。
今日は挨拶程度位にしか思っていなかったのだ。

甘かった。全く相手にされていなかった。完全に部外者だった。

私は、依頼者の女性が会話の出来る状態ではなかったので、「先生、今日はその位でよろしいんじゃないでしょうか」と堪らず口を開いた。

弁護士は、「そうですね。これじゃ話になりませんから、また後日ゆっくりお話ししましょう。」と笑みを浮かべながら言った。

次回接見の期日を一方的に通告された。なんだか気味が悪かった。 

帰りの車の中でも女性は泣いていた。
私は何も言わなかった。正直何も言えなかった。

そしてアパートに着くと、
「今日は本当にごめんなさい。佐藤さん無理しないで下さい。辞めたかったらいつでも辞めてかまわないですよ。」と言うと そのまま立ち去った。

私は途方に暮れてしまった。
やっぱり引受けるべきじゃなかった。本当に惨めだった。

車の中ではナナ・ムスクーリの「オンリー・ラブ」が流れていた。
私は家路に着くまで繰り返しそれを聴いた。

私は思った。勝てば官軍、負ければ賊軍なのか。

世の中の正義は一体どこにあるのだろうか。

私は人一倍正義感が強い。学生時代からどの適正検査でも、向いている職業は警察官と判定がでた。

どう考えても、社会通念上 誰が考えても、私の依頼人である女性の方が正真正銘の被害者だった。

そして、二回目の接見の日が来た。私はまたその女性と共に弁護士の所へ行った。

また、録音テープが回り出すと、弁護士は尋問を始めた。
刻銘に日付時刻を調べて、その時の出来事をまるで、こちら側に非があるかのように恫喝する。

女性はまた5分と持たず泣き出した。
これじゃ一回目のリプレイじゃないかと思った。理不尽だと思った。

今回は私も反論した。モバイルPCの画面を見ながら、各論点について条文と判例、学説(有力説)の論証を交えながら、応戦した。

弁護士は「そんなのまったく関係ないんですよ。だから素人は面倒臭いんだ。」と言って怒りをあらわにした。

「今日は、もう帰ってくれますか。私は非常に憤慨している。全くもって心外だ。」と一方的に言われて、私達は仕方なく事務所を後にした。

女性はまだ泣いていた。

「なんで私がこんな目にあわなきゃいけないんですか?」
「私の何処が悪かったんですか?」と尋ねてきた。

「あなたは何も悪くないんですよ。誰も何も悪くないんですよ。」
「ただ、世の中の仕組み そのものが少し歪んでるんですよ。」とそれとなく言った。

車の中ではヌーノの「アマポーラ」が流れていた。
「この歌手、実は男性なんですよ。」と言ったのだが信じて貰えなかった。

だが、彼女は「なんで、そんな冗談を言うんですか。」と言って笑っていた。
初めて垣間見た笑顔だった。

どうもカウンターテナーを知らないらしい。

そして、接見 7回目の後、事件が起きた。

その夜は完膚無きまで論破されてしまった。

レストランで二人で食事をしていると、女性が突然泣き始めた。 
彼女の涙にはもう慣れてはいたのだか、その日の夜は特別だった。

本当に悲惨だった。

本当に、私の力不足で、辛い思いをさせてしまった。

私は人目を憚らず、思わず彼女を後ろからそっと抱きしめた。
ほのかにエスティローダー系のフレグランスのラストノートの香りがした。

一斉に他の客達の注目の視線を浴びたが、そんなことはどうでもよかった。

そしてアパートまで送ると彼女が「よかったらコーヒーでも飲んで行きませんか。」
というので 、まぁ一杯だけならとアパートの一室に入った。

隅々まで掃除の行き届いている綺麗な部屋だった。
コーヒーを飲み終え、私がそそくさと帰ろうとすると

彼女が「今晩だけは朝まで一緒にいて欲しい」と言いだした。

正直、私は迷っていた。
実際、彼女のことは嫌いではなかったし、その言葉の意図するところは十分に理解していた。

私は、申し訳ないが付き合っている彼女に言い訳できないし
それに依頼人の部屋に泊まるなど 絶対にあってはならないと、多少、語気を強めて言った。

彼女は、「無理を言って本当にごめんなさい。」と言って私を階下まで送ってくれた。

本当に淋しそうな顔だった。
でも、私にはこうするほかなかったのだ。


その夜、彼女は漂白剤と大量の睡眠導入剤を飲んで自殺未遂を起こした。


私は翌日、朝早く病院に駆け付けた。
命に別状はなかった。

彼女は天使のように眠っていた。
両親も他界し、兄弟姉妹もおらず 頼れるのは私だけだったのだ。


彼女には精神的にも肉体的にも、もはや限界だったのだ。

私はそのことに全く気付いてあげられなかった。本当に馬鹿な男だ。

彼女の寝顔を見ながら、どんなに辛く苦しかっただろうかと、思いをはせると、思わず目頭が熱くなった。

帰りの車の中で、スティングの「シェープ・オブ・マイ・ハート」を聴きながら、映画「レオン」の最期を思い出し、それが何となく彼女の姿と交錯してしまいとても複雑な気持ちになった。

この勝負は絶対に負けるわけにはいかないと本気で思った。

正義は絶対に勝つのだ。弱者といえども正義は守られなければならないのだ。

私は腹をくくった。

後日、花束を持って病院を訪れた。
彼女は意外に元気だったのでひと安心した。

弁護士にも事情を説明して、彼女が精神的にも肉体的にも回復するまでは、文書か電話にて直接交渉する確約を取り付けた。

私はあくまで代理人ではなく立会人であるから依頼人抜きでの直接対面交渉は許されないのだ。

私は彼女に部屋の鍵を借りて承諾を得て、何か有利な証拠になるものはないかと部屋の中を隅から隅まで物色して回った。

そして幾つかの有力な証拠を見つけた。日記も繰り返し読んだ。そして重要な箇所をコピーし、現場写真を撮り、他の資料についても、収集できるものはすべて集めた。
彼女にも何度もヒアリングをして状況確認を行った。

そしてそれを細分類して丁寧に根気強く分析した。

そして40ページ程の文書を、10日間ものあいだ 眠くなるとソファーで仮眠を取りながら完成させた。
この頃は、もう既に今年の受験は半ばあきらめていた。

私は早速、文書に膨大な資料を添付して、郵便書留にて弁護士へ送付した。

一週間位して15ページ程の文書が届いた。
私の見解に対する反証だった。

正直参ってしまった。

何度読んでも理解できなかった。これは法律に則っているわけではなく、あくまで弁護士の私見だった。
支離滅裂だった。

電話でも幾度となく話したが、まったくもって議論にならなかった。

この頃になると私も精神的にかなり疲れていた。

付き合っていた彼女にも、もういい加減 辞めて欲しいと懇願された。

国家試験も棒に振って、こんなことして一体何になるの。 
本当に彼女の言うとおりだった。
弁解の余地もなかった。

本当に心配をかけてごめんとしか言葉がなかった。

ある日の昼下がり、私は今後の対応策を綿密に考えていた。
正直行き詰っていた。

そしてインターネットで色々調べていると、とある大阪の行政書士事務所のHPに行き当たった。
電話相談30分 3,000円と明記してあった。
私は意地でも、弁護士事務所に相談する訳にいかなかったのだ。

何となく電話してみた。すると声から察するにかなり年配の行政書士が電話にでた。

私はこれまでのいきさつや、今の状況を端的に説明した。
その老人の行政書士は、黙ってそれを聞いた後

いきなり「あなた、藤沢周平を読んだことありますか」と聞かれ
「映画は殆ど観てますけど、本は読んだことはありません。」と返答したのだが

「私はあの人の大ファンで ことに隠し剣シリーズは実に面白いですよ。」
私はやはり行政書士に電話したのが間違いだったと思い、丁重にお断りして電話を切ろうとした。

すると、その行政書士がこう切り出した。
「あなた ヤメ検相手によく一人でそこまでやりはりましたね。後二手位で相手の王将を詰められますよ」言った。

私は半信半疑だったが、この時初めて自分が優位に立っていることを知った。

老人の行政書士はそのまま話を続けた。

「ただ相手が相手やさかい、このまま簡単には済まんでしょうね。ヤメ検にも意地がありますからな。」
「隠し剣シリーズの中に、必死剣 鳥刺しというのがあるんですわ。」
「私が勝手に名づけたんですけど、それを今からあなたに伝授しますさかい、よう聞いといて下さい。」
「但し、下手を打つとあなたも王手を取られますから、十分注意して下さい。」

流暢で丁寧な大阪弁だった。

電話での話のやりとりは、時間にしておよそ40分位だったと思う。

話終わった後、先生ありがとうございました。
お金は後で必ず振込みますからと言ったのだが

先生は「ええんです。ほんまにええんです。あなたみたいな人からお金をもらう訳にはいきませんから。」


「どうぞ最期のひと勝負、依頼人の方のためにも気張って下さい。」
「私はもう来年には身を引くつもりですから。気にせんといて下さい」
そう言うと、電話を切った。

私は感動していた。世の中もまだまだ捨てたものじゃない。
行政書士で、こんなすばらしい法律家もいるのだ。

そして、床の間の加州清光を手に取り、鞘を抜き、3回程、思いっきり振りかざした。
何だか少しだけ武士になった気がした。

そして、再度「たそがれ清兵衛」と、藤沢周平ではないが「壬生義士伝」を観た。

これらの主人公はみな、運命に翻弄され、それでも自分の信念を貫き通すのだ。
私も自分の信念に従い、正々堂々と真剣勝負の戦いに挑むのだ。

私は、弁護士から送られた文書を何度も何度も繰り返し読んだ。
何度読んでも、やはり支離滅裂だった。

私は、最後の大勝負に賭けた。
その反証として最高裁の判例は当然のこと、地裁レベルの判例まで調べて、新たに反証論文を書いた。

弁護士が書いた全ての事案につき、ひとつひとつ反証し その理由と根拠を詳細に述べ、条文を明記し、判例及び学説がある場合その判決文等を引用して、最期にその判決年月日を記載し、私の見解及び解釈を添えた。

そして新たな物的、状況証拠資料にも、そのすべてに総体的私見を述べ、依頼人の正当性を主張した。

そして最後に老人の行政書士の言われたとおりのことを実直に自分なりに工夫して帰結とした。

それから、1ヶ月間、その弁護士と全く連絡を取り合わなかった。

文書が来ても、携帯がなっても、自宅の留守電にも、私は徹底的に無視しつづけた。
そしてある日、自宅の電話の留守録に伝言が入っていた。


  ……もう、終わりにしましょう。おたくの要求を無条件に全てのむと。……

私は、早速弁護士に電話した。
弁護士は静かにこう言った。

私としては訴訟に持ち込んでも一向に構わないのだが、依頼人がもう終わらせたいと言っているので、仕方なくあくまで和解という形で終結したい。

そして最後にこう付け加えた。
大した受験生だ。きっと合格して下さいと。

私は依頼人の女性に報告した。
やはり泣いていた。それも嗚咽しながら。

その夜は付き合っている彼女と遅くまで飲んだ。
お洒落なレストランで食事をしてシャンパンを飲んで、ショットバーでお気に入りのカクテルを好きなだけ飲んだ。

実は自殺未遂の事件の後、決着が着くまでは禁酒を誓っていたのだ。

最高の夜だった。

今でも、床の間の刀を見るとあの日々を思い出してしまう。

長く苦しい戦いだった。
しかし実に充実した4ヶ月間だった。

その後、結局 藤沢周平の本を読むことは一度もなかったのだが、「必死剣 鳥刺し」が映画化されると知って観に行かずにはいられなかった。

なるほど、先生が言った鳥刺しとはこういうことだったのかと。
確かに先生が勝手に名付けたものだった。

私が思い描いてたものとは大分違っていた。

でも、あの時 先生に出会わなければ、私は負けていたかもしれない。
そして、依頼人の女性の正義を貫けなかったことを、一生悔いたであろう。

そういう意味でも、私にとって本当の剣の師であった。


決定的な瞬間を持たない人生など決してないのだ。

誰の言葉か忘れてしまったが。確かに誰かが言っていた。






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by DZE03247H | 2010-08-01 01:12 | 映画・ドラマ