大分でのビューティフル・ライフを満喫するプロジェクト


by dze03247H
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この日は、仕事の関係で日田にいった。

最初は早く終われば、サッポロビール園にでも行くつもりだったのだが、

最後の物件のすぐ側が豆田町だったので、ちょっとばかり散策してみることにした。

天領日田おひなまつりには、二回程訪れたこたがある。
ここは伝統保存地区に指定されている。


草野本家の飾りひなは圧巻であったが、次郎左衛門のお屋敷もなかなかのものである。


草野本家は、建物も築数300年以上経過していることもあり、昔の建築物の梁や天井や柱など贅沢でダイナミックで趣きのある造りを堪能することができる。

あまり時間もなかったので、さっさと写真を撮っていたのだが、行く先々でお店のご主人や女将さんや店員さんやらと色々たわいもないことをお話をしていると、あっという間に時間が経過してしまった。


皆、基本的に話好きだった。それに私も元来、話好きなのだ。


なんと情緒があり、風情があり、それに美しい街並み、人々のまなざしも優しい。


ここは昔懐かしい、癒しの町である。


毎年十一月には日田天領「千年あかり」というのがあるらしい。


多分、臼杵市の"竹宵まつり"や竹田市の"竹楽"と同じ感じではないかと思うのだが、同じ城下町でも雰囲気はまるで違うだろう。


広瀬淡窓が休道の詩で、「君ハ川流ヲ汲メ、我ハ薪ヲ拾ワン」豆田町を詠った句があるように、水と豆田は切っても切れない関係で、町中を流れる水路や水溜り、打ち水で暑さを凌ぐ。

とフォトコンテストのポスターに書いてあったが、来年は応募してみようかなと、ひそかに思った。


ちなみにただの入賞でも商店街の賛品がもらえる。


何となく、是非また来てみたいと思った。
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# by DZE03247H | 2010-09-19 22:31

別府 志高湖へ道草

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志高湖(しだかこ)は別府市の山奥にある、小さな湖だ。

桜の綺麗な場所として、ちまたでは有名だが、残念ながら私はその季節にここを訪れたことはない。

この湖は、まるで海のように満潮、干潮があるかごとく水位の増減が激しい。

最近、雨が少なかったせいもあり この日は干潮気味だった。


白鳥やアヒルやカモも生息している。人にはかなり慣れているみたいだ。
近寄っても、全く逃げる素振りさえ見せない。大したものだと妙に納得してしまった。


正直、何処を見渡してもあまり感動しなかった。

やはりここにも、まだ秋は訪れてはいなかった。
空もどんよりしていて、何となく寂しい感じだった。


それならばと、ボートに乗って思い切りオールを漕いでみようと思ったが、やっぱり止めておこう。
今日は、そんな日ではないのだ。勝手にうなずく。ふむ、ふむ。


近くには神楽女湖(かぐらめこ)もあるが、昔は心霊スポットして有名だった。
今はどうだか知るよしもないが。

女の幽霊が林檎を食べているというのである。

確かに近くに林檎園はあるのだが、何故林檎なのか。
何だか釈然としない。

もしかして、それは幽霊ではなくて林檎の妖精なのかも。
まぁ、そんなことはどうでもよい。

それにしても、湖は神秘的で幻想的で、独特の雰囲気を漂わせている。

この雰囲気を肌で実感できれば、少なくとも精神的には十分正常なのかも。

今度は神楽女湖を訪れてみようと思った。

出来れば真夜中に…
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# by dze03247H | 2010-09-16 18:40

秋らしくない九月

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九重町にある夢大吊橋に行ってきた。

平日にもかかわらず観光客が意外に多かった。

ここを訪れるのは三度目である。

ただ、秋と冬にしか来たことは無かったので、その光景の違いにいささか驚いた。


やはり、深秋の時期に訪れるのがベストだと確信した。
冬も悪くはないが、なにしろ寒い。寒すぎる。

パノラマの風景も違うが、第一に空の色が違う。秋空はもっと澄んでいて、雲がもう少しタイトな感じで、なんとなくロマンティックなのだ。

私は高い所が大好きなので、少しばかりテンションが高まった。

橋はかなり揺れる。


思わず、何年か前 邦画で「ゆれる」という映画があったが、エンディングの、その真相に迫る場面がフラッシュバックした。

その映画もやはり吊り橋が舞台だった。
とはいってもこんな立派な近代的な橋ではなかったが。

一組の老夫婦とグループに写真撮影を依頼された、コンデジは最近全く使っていなかった私は思わずファインダーを覗き込んだ。

何も見えない。当たり前だ。付いていないのだから。
思わず苦笑いした。


「ハイチーズ」と言ったのだが、もうこんな言葉は死語に近いだろう。
「一足す一は」の方が良かったかなとも思ったが、世代相応の共通語なら何でもよいのだ。

もう暦の上では秋だというのにまだまだ残暑は厳しい。未だに秋の気配さえ感じない。

何となく、竹内まりやの「SEPTEMBER」のフレーズが頭に浮かんだ。

  ~そして九月は秋に変わった~060.gif

夜の虫の音が待ち遠しいと心から思った。
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# by dze03247H | 2010-09-15 17:42

仕事帰りの参拝

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今日は、仕事で豊後高田市に行った。

そこで、奥さんと2時間半程度 自家製のシソジュースを飲みながら、色々お話をして、そのまま帰社するつもりだったのだが、せっかくなので、宇佐神宮に立ち寄ることにした。

これが生まれて2回目の参拝となる。

初めて訪れたのは、確か20代半ばだったと思う。
当時付き合っていた彼女と初詣に出かけたのだ。


彼女は非常に迷信深い性格で、宇佐神宮に行けば 神様が怒って別れることになるからと、最初は執拗に拒否した。


私はそんなこと関係ないからと説得して行ったのだが、事実、本当にその日を境に その彼女と二度と会うことはなかった。

自然消滅と言うべきだろうか。まったく奇妙な話である。

友人に尋ねると、本当にそういう噂があるとのことだった。
それも、結構 有名な話だと。


それ以来、付き合った女性に この話をすると、誰一人としてこの宇佐神宮へは一緒に行きたがらなかった。


この日も猛暑でカメラのショルダーバックが、肩に重くずっしりのしかかる。
砂利道に足をすくわれ、参道の距離も思いのほか長い。

私の背広は汗でにじんでいた。


私はレンズを3本用意していたが、もう変えることさえ面倒臭くなってしまっていた。
そこで最初からセットしていた広角レンズで、全て撮影することにした。


本殿に到着すると、賽銭箱が3つ並んでいたので、私は訳も分からず真ん中の賽銭箱に小銭を投げ込むと、二礼 四拍 一礼を丁寧に行った。


そして、巫女さんのところへ行き、どうして賽銭箱が三つあるのか尋ねた。


すると巫女さんは、優しいまなざしで、本殿は八幡三神を祭っており、左から神殿の順に一の御殿、二の御殿、三の御殿と三柱の神がいらっしゃると教えてくれた。


私は既に疲労困憊していたのだが、もう一度気を取り直して 一の御殿に行き、最初からやり直すことにした。

そして、二の御殿で財布から100円玉を取り出すと、それを賽銭箱にためらわず放り投げたのだが、
宙を舞ったのは100円玉ではなく、私の財布だった。


思わず、「あっ」と叫んでしまった。本当に慌ててしまった。

幸いにも財布は木の格子に挟まれて難を逃れたのだが危ないところだった。

私はお礼も込めて、木札のお守りを買った。


それも商売繁盛。


生まれて初めて合格祈願以外のお守りを買った。


帰りの歩道で方向音痴の私はやはり迷ってしまった。

何となく来る途中で予想はしていたのだが、やはり思った通りになってしまった。
道を尋ねるのはもう慣れている。私は迷わず通りすがりの人に道を聞いた。


駐車場まで戻ると、私のグレーのスーツは汗でダークグレーになっていた。


もう当分の間は来なくてよいと自分自身で勝手に納得した。


ちなみに木札のお守りは会社のデスクの前に立て掛けている。
願いが成就することを心から祈るばかりである。
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# by DZE03247H | 2010-09-02 18:03


何年ぶりだろうか。
こんな間近で花火を見たのは。

小さい頃は友人同士でお祭りにはよく行っていたし、20代でも彼女が行きたいといえば、喜んで一緒に行ったものだが、30歳を過ぎたあたりから何だか億劫になってしまった。

大勢の人混みの中で、汗だくになりながら花火を見て、一体何が楽しいのだろうと思っていたのだが、今回はブログでスライドショーを作りたくて、否応なしに行ってしまった。

私はホテルの最上階にあるバーとか、旅館の窓際からこっそりと打ち上がる花火がすきなのだ。

お洒落だし風情がある。何より快適なのだ。

今回は生まれて初めて、カメラで花火を撮ったのだが これが案外難しい。

花火にレンズの焦点を合わせ、ふと周辺を見渡すと そこにはとても愛くるしい笑顔や、一心に花火を見つめる人々の表情があった。

ファインダーから垣間見る人々の表情は本当に切ないほどに 屈託がない。

これが本当の人間の素顔なのだと思った。

ふと気が付くと、何だか優しい気持ちになっている自分がそこにいた。
みんな繋がっているのだ。もしかしたらどこかで。

私はとっさにカメラのモードを変えてシャッターをきるのだが、これがどうもうまくいかない。
ワンテンポ遅れてしまのだ。

花火→人→花火→人 最後の方は、本当に疲れてしまった。

結局、300枚程撮ったのだが、殆どの花火はまるで 焼夷弾か艦砲射撃を彷彿させるもので、これじゃまるで戦場カメラマンだと思わず笑ってしまった。

でも、今の日本は本当に平和なのだと痛感した夜だった。
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# by DZE03247H | 2010-08-23 18:39

祭りの後の"もも焼き"

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田舎で生活していると、ときおりネオンが恋しくなる。

雑居ビルに掲げられた無数の電照看板。
その谷間を行きかう人々たち。

そして、その合間をぬうように走るタクシー。

ある者は仕事帰りの憂さ晴らしや、ある者は商談だったり、接待だったり、ただ単に酒が飲みたい者もいるだろう。

ここでは、喜怒哀楽の様々な人間模様が渦巻いている。

そして、一夜限りのドラマがあるのだ。

丁度、この夜は大分名物の府内戦紙(ふないぱっちん)の後ということもあってか、大分県最大の歓楽街である都町は結構賑わっていた。

私は自宅では普段まったく 晩酌はしないが、外に出ると豪快に飲む。

週末は必ず何かしらの飲み会がある。地元の集まりだったり、消防団、選挙関係、友人関係等 飲む口実は様々だが、この都町には月に最低でも2回は訪れる。

そして、大抵の場合 この「まんとく」に最初に入るのだ。

大分ではかなり有名な店だ。

私が初めて食べたのは、もうかれこれ18年位前になるだろうか、私はその美味さに驚愕してしまった。

こんな美味いものがあるのかと。

その当時はまだ、小さなお店だった。大将とおかみさんとで切り盛りしていた。
本当に店内は狭く、いつもカウンターはぎゅうぎゅう詰め状態だった。

しかし、今は場所を移し カウンターの長さも当時の4倍位になっている。
当然、座敷も比較にならない程広くなった。

弟子も4人程いるし、接客係も3人程いるが、やはり今でも大将は第一線でこの”ももやき”を一心不乱に焼いている。

立ち上がる炎の奥に映しだされる大将の顔は、実に男らしくて、勇ましい。

ここだけは昔とまったくかわらない。
何だか少し嬉しくなった。

メニューはいたってシンプルで、基本的には ”地鶏もも焼き、地鶏たたき、羽根さしみ”の三種類に、後はおにぎりとか、おつまみ系が何種類かあるだけだ。

この日も店内は満員状態。いたる所で、話し声や笑い声や、中には怒鳴り声も入り混じり、その盛況ぶりを肌で感じた。

一度、騙されたと思って食べてもらいたい。きっと舌をうならせることは間違いないだろう。

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# by DZE03247H | 2010-08-07 09:31

夏の夜の宴

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この日は私の住む地域の恒例の飲み会があった。
この地域はみんな一致団結している。

一次会は野外バーベキューで15人近くいたのだが、二次会は5人だけになってしまった。

どうせ、これ位の人数でないと入りきれないのだからと誰かが言った。

みんな、世代も個性も違うが 実にいい男達ばかりである。

この地域の発展のために尽力して、若手世代の名手達でもある。

みんな、家族のために身を粉にして一生懸命に働いている。

夏の夜の酒宴はたけなわであった。
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# by DZE03247H | 2010-08-01 11:18

必死剣 鳥刺し

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【鳥刺し】
それは、必死必勝の剣 その秘剣が抜かれる時
遣い手は、半ば死んでいるとされる。


このフレーズに魅せられて「必死剣 鳥刺し」を観にいってしまった。
ただ、理由はそれだけではなかった。
もう一つどうしても観に行かなければならない理由があった。

私の家のリビングの左右の床の間のうち右側の方には摸造刀が二本飾ってある。

写真の左にある、縦置きの刀掛け台は武田信玄の軍師であった山本勘助の愛刀、陣太刀「左文字」。
右にある横置き刀掛け台には、新選組の中でも一番の腕だと謳われた沖田総司 愛用の名刀「加州清光」。
新選組隊士の所持する刀の中でも最高の名刀と言われていたとか。

日本刀は本当に美しい。ただそれだけはない、武士の誇りであり魂でもある。
私は当然武士ではないが、いつもかくありたいと望んでいる。

また過去の話になってしまうが、今から3年半前、私は某国家試験を目指すべく、それに専念するため会社を辞めた。 
そして朝から夜まで、毎日図書館に通っていた。

ある夜、友人が訪ねて来た。知人の示談交渉をお願いしたいとのことだった。
私は、受験生の身であり、さらに それは非弁行為になるからと執拗にその依頼を断った。

しかし、問題はそう簡単なものではなかった。その友人には大きな借りがあったし、
経緯を詳しく聞いても、依頼人の方がどう考えても被害者であったし、極めて不利な立場にあったのだ。
結局のところ断れなかった。


私は友人に、相手方の弁護士が、事件性必要説の立場において、この示談交渉が弁護士法第72条に抵触しない旨の念書を差し入れることを理由に、依頼を引き受けることにした。

そして、代理人ではなく立会人として、弁護士と接見する場合は、必ず依頼者の同伴を絶対的要件とした。

何故、他の弁護士に依頼しないのかと尋ねると、全くの無資力だと言うのだ。

私はどうせ相手方の弁護士がこんなことを認めるはずもないし、念書なんか書くわけがないと高をくくっていたのだが、後日、予想に反して弁護士から会いたいとの電話が依頼人にあった。

依頼人は三十代半ば位の黒髪の美しい綺麗な女性だった。
私は依頼人と共に弁護士に接見した。
確か1月半ばだったと記憶している。

ヤメ検弁護士だった。聞くところよると暴力団専門の検事だったらしい。

その弁護士は念書を私に手渡すと、静かに語りだした。
「辞めるなら今の内ですよ。所詮、受験生ごときがプロに対抗できる訳ないでしょう。」
どうも素性がばれているようだった。

私は実印を押した立会人承諾書と印鑑証明書を弁護士に差し出した。
そして「私も全く同感です。」と小声で言った。
弁護士は、何も言わず、光にそれをかざしながら印鑑の照合を行っていた。


なんと頼りない立会人なのだろうか。私はどうも乗る気がしなかった。

それから、弁護士は録音テープのスイッチを徐に押すと、依頼者に対して尋問を始めた。
殆ど恫喝そのものだった。依頼者の女性は5分ともたず泣き崩れた。

私は何の準備もしていなかった。
今日は挨拶程度位にしか思っていなかったのだ。

甘かった。全く相手にされていなかった。完全に部外者だった。

私は、依頼者の女性が会話の出来る状態ではなかったので、「先生、今日はその位でよろしいんじゃないでしょうか」と堪らず口を開いた。

弁護士は、「そうですね。これじゃ話になりませんから、また後日ゆっくりお話ししましょう。」と笑みを浮かべながら言った。

次回接見の期日を一方的に通告された。なんだか気味が悪かった。 

帰りの車の中でも女性は泣いていた。
私は何も言わなかった。正直何も言えなかった。

そしてアパートに着くと、
「今日は本当にごめんなさい。佐藤さん無理しないで下さい。辞めたかったらいつでも辞めてかまわないですよ。」と言うと そのまま立ち去った。

私は途方に暮れてしまった。
やっぱり引受けるべきじゃなかった。本当に惨めだった。

車の中ではナナ・ムスクーリの「オンリー・ラブ」が流れていた。
私は家路に着くまで繰り返しそれを聴いた。

私は思った。勝てば官軍、負ければ賊軍なのか。

世の中の正義は一体どこにあるのだろうか。

私は人一倍正義感が強い。学生時代からどの適正検査でも、向いている職業は警察官と判定がでた。

どう考えても、社会通念上 誰が考えても、私の依頼人である女性の方が正真正銘の被害者だった。

そして、二回目の接見の日が来た。私はまたその女性と共に弁護士の所へ行った。

また、録音テープが回り出すと、弁護士は尋問を始めた。
刻銘に日付時刻を調べて、その時の出来事をまるで、こちら側に非があるかのように恫喝する。

女性はまた5分と持たず泣き出した。
これじゃ一回目のリプレイじゃないかと思った。理不尽だと思った。

今回は私も反論した。モバイルPCの画面を見ながら、各論点について条文と判例、学説(有力説)の論証を交えながら、応戦した。

弁護士は「そんなのまったく関係ないんですよ。だから素人は面倒臭いんだ。」と言って怒りをあらわにした。

「今日は、もう帰ってくれますか。私は非常に憤慨している。全くもって心外だ。」と一方的に言われて、私達は仕方なく事務所を後にした。

女性はまだ泣いていた。

「なんで私がこんな目にあわなきゃいけないんですか?」
「私の何処が悪かったんですか?」と尋ねてきた。

「あなたは何も悪くないんですよ。誰も何も悪くないんですよ。」
「ただ、世の中の仕組み そのものが少し歪んでるんですよ。」とそれとなく言った。

車の中ではヌーノの「アマポーラ」が流れていた。
「この歌手、実は男性なんですよ。」と言ったのだが信じて貰えなかった。

だが、彼女は「なんで、そんな冗談を言うんですか。」と言って笑っていた。
初めて垣間見た笑顔だった。

どうもカウンターテナーを知らないらしい。

そして、接見 7回目の後、事件が起きた。

その夜は完膚無きまで論破されてしまった。

レストランで二人で食事をしていると、女性が突然泣き始めた。 
彼女の涙にはもう慣れてはいたのだか、その日の夜は特別だった。

本当に悲惨だった。

本当に、私の力不足で、辛い思いをさせてしまった。

私は人目を憚らず、思わず彼女を後ろからそっと抱きしめた。
ほのかにエスティローダー系のフレグランスのラストノートの香りがした。

一斉に他の客達の注目の視線を浴びたが、そんなことはどうでもよかった。

そしてアパートまで送ると彼女が「よかったらコーヒーでも飲んで行きませんか。」
というので 、まぁ一杯だけならとアパートの一室に入った。

隅々まで掃除の行き届いている綺麗な部屋だった。
コーヒーを飲み終え、私がそそくさと帰ろうとすると

彼女が「今晩だけは朝まで一緒にいて欲しい」と言いだした。

正直、私は迷っていた。
実際、彼女のことは嫌いではなかったし、その言葉の意図するところは十分に理解していた。

私は、申し訳ないが付き合っている彼女に言い訳できないし
それに依頼人の部屋に泊まるなど 絶対にあってはならないと、多少、語気を強めて言った。

彼女は、「無理を言って本当にごめんなさい。」と言って私を階下まで送ってくれた。

本当に淋しそうな顔だった。
でも、私にはこうするほかなかったのだ。


その夜、彼女は漂白剤と大量の睡眠導入剤を飲んで自殺未遂を起こした。


私は翌日、朝早く病院に駆け付けた。
命に別状はなかった。

彼女は天使のように眠っていた。
両親も他界し、兄弟姉妹もおらず 頼れるのは私だけだったのだ。


彼女には精神的にも肉体的にも、もはや限界だったのだ。

私はそのことに全く気付いてあげられなかった。本当に馬鹿な男だ。

彼女の寝顔を見ながら、どんなに辛く苦しかっただろうかと、思いをはせると、思わず目頭が熱くなった。

帰りの車の中で、スティングの「シェープ・オブ・マイ・ハート」を聴きながら、映画「レオン」の最期を思い出し、それが何となく彼女の姿と交錯してしまいとても複雑な気持ちになった。

この勝負は絶対に負けるわけにはいかないと本気で思った。

正義は絶対に勝つのだ。弱者といえども正義は守られなければならないのだ。

私は腹をくくった。

後日、花束を持って病院を訪れた。
彼女は意外に元気だったのでひと安心した。

弁護士にも事情を説明して、彼女が精神的にも肉体的にも回復するまでは、文書か電話にて直接交渉する確約を取り付けた。

私はあくまで代理人ではなく立会人であるから依頼人抜きでの直接対面交渉は許されないのだ。

私は彼女に部屋の鍵を借りて承諾を得て、何か有利な証拠になるものはないかと部屋の中を隅から隅まで物色して回った。

そして幾つかの有力な証拠を見つけた。日記も繰り返し読んだ。そして重要な箇所をコピーし、現場写真を撮り、他の資料についても、収集できるものはすべて集めた。
彼女にも何度もヒアリングをして状況確認を行った。

そしてそれを細分類して丁寧に根気強く分析した。

そして40ページ程の文書を、10日間ものあいだ 眠くなるとソファーで仮眠を取りながら完成させた。
この頃は、もう既に今年の受験は半ばあきらめていた。

私は早速、文書に膨大な資料を添付して、郵便書留にて弁護士へ送付した。

一週間位して15ページ程の文書が届いた。
私の見解に対する反証だった。

正直参ってしまった。

何度読んでも理解できなかった。これは法律に則っているわけではなく、あくまで弁護士の私見だった。
支離滅裂だった。

電話でも幾度となく話したが、まったくもって議論にならなかった。

この頃になると私も精神的にかなり疲れていた。

付き合っていた彼女にも、もういい加減 辞めて欲しいと懇願された。

国家試験も棒に振って、こんなことして一体何になるの。 
本当に彼女の言うとおりだった。
弁解の余地もなかった。

本当に心配をかけてごめんとしか言葉がなかった。

ある日の昼下がり、私は今後の対応策を綿密に考えていた。
正直行き詰っていた。

そしてインターネットで色々調べていると、とある大阪の行政書士事務所のHPに行き当たった。
電話相談30分 3,000円と明記してあった。
私は意地でも、弁護士事務所に相談する訳にいかなかったのだ。

何となく電話してみた。すると声から察するにかなり年配の行政書士が電話にでた。

私はこれまでのいきさつや、今の状況を端的に説明した。
その老人の行政書士は、黙ってそれを聞いた後

いきなり「あなた、藤沢周平を読んだことありますか」と聞かれ
「映画は殆ど観てますけど、本は読んだことはありません。」と返答したのだが

「私はあの人の大ファンで ことに隠し剣シリーズは実に面白いですよ。」
私はやはり行政書士に電話したのが間違いだったと思い、丁重にお断りして電話を切ろうとした。

すると、その行政書士がこう切り出した。
「あなた ヤメ検相手によく一人でそこまでやりはりましたね。後二手位で相手の王将を詰められますよ」言った。

私は半信半疑だったが、この時初めて自分が優位に立っていることを知った。

老人の行政書士はそのまま話を続けた。

「ただ相手が相手やさかい、このまま簡単には済まんでしょうね。ヤメ検にも意地がありますからな。」
「隠し剣シリーズの中に、必死剣 鳥刺しというのがあるんですわ。」
「私が勝手に名づけたんですけど、それを今からあなたに伝授しますさかい、よう聞いといて下さい。」
「但し、下手を打つとあなたも王手を取られますから、十分注意して下さい。」

流暢で丁寧な大阪弁だった。

電話での話のやりとりは、時間にしておよそ40分位だったと思う。

話終わった後、先生ありがとうございました。
お金は後で必ず振込みますからと言ったのだが

先生は「ええんです。ほんまにええんです。あなたみたいな人からお金をもらう訳にはいきませんから。」


「どうぞ最期のひと勝負、依頼人の方のためにも気張って下さい。」
「私はもう来年には身を引くつもりですから。気にせんといて下さい」
そう言うと、電話を切った。

私は感動していた。世の中もまだまだ捨てたものじゃない。
行政書士で、こんなすばらしい法律家もいるのだ。

そして、床の間の加州清光を手に取り、鞘を抜き、3回程、思いっきり振りかざした。
何だか少しだけ武士になった気がした。

そして、再度「たそがれ清兵衛」と、藤沢周平ではないが「壬生義士伝」を観た。

これらの主人公はみな、運命に翻弄され、それでも自分の信念を貫き通すのだ。
私も自分の信念に従い、正々堂々と真剣勝負の戦いに挑むのだ。

私は、弁護士から送られた文書を何度も何度も繰り返し読んだ。
何度読んでも、やはり支離滅裂だった。

私は、最後の大勝負に賭けた。
その反証として最高裁の判例は当然のこと、地裁レベルの判例まで調べて、新たに反証論文を書いた。

弁護士が書いた全ての事案につき、ひとつひとつ反証し その理由と根拠を詳細に述べ、条文を明記し、判例及び学説がある場合その判決文等を引用して、最期にその判決年月日を記載し、私の見解及び解釈を添えた。

そして新たな物的、状況証拠資料にも、そのすべてに総体的私見を述べ、依頼人の正当性を主張した。

そして最後に老人の行政書士の言われたとおりのことを実直に自分なりに工夫して帰結とした。

それから、1ヶ月間、その弁護士と全く連絡を取り合わなかった。

文書が来ても、携帯がなっても、自宅の留守電にも、私は徹底的に無視しつづけた。
そしてある日、自宅の電話の留守録に伝言が入っていた。


  ……もう、終わりにしましょう。おたくの要求を無条件に全てのむと。……

私は、早速弁護士に電話した。
弁護士は静かにこう言った。

私としては訴訟に持ち込んでも一向に構わないのだが、依頼人がもう終わらせたいと言っているので、仕方なくあくまで和解という形で終結したい。

そして最後にこう付け加えた。
大した受験生だ。きっと合格して下さいと。

私は依頼人の女性に報告した。
やはり泣いていた。それも嗚咽しながら。

その夜は付き合っている彼女と遅くまで飲んだ。
お洒落なレストランで食事をしてシャンパンを飲んで、ショットバーでお気に入りのカクテルを好きなだけ飲んだ。

実は自殺未遂の事件の後、決着が着くまでは禁酒を誓っていたのだ。

最高の夜だった。

今でも、床の間の刀を見るとあの日々を思い出してしまう。

長く苦しい戦いだった。
しかし実に充実した4ヶ月間だった。

その後、結局 藤沢周平の本を読むことは一度もなかったのだが、「必死剣 鳥刺し」が映画化されると知って観に行かずにはいられなかった。

なるほど、先生が言った鳥刺しとはこういうことだったのかと。
確かに先生が勝手に名付けたものだった。

私が思い描いてたものとは大分違っていた。

でも、あの時 先生に出会わなければ、私は負けていたかもしれない。
そして、依頼人の女性の正義を貫けなかったことを、一生悔いたであろう。

そういう意味でも、私にとって本当の剣の師であった。


決定的な瞬間を持たない人生など決してないのだ。

誰の言葉か忘れてしまったが。確かに誰かが言っていた。






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# by DZE03247H | 2010-08-01 01:12 | 映画・ドラマ

雨にぬれても

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私は就寝前に必ず葉巻(シガー)を一本だけ吸う。
ミディアムサイズのシガーだが、ゆっくり時間をかけて吸うと15分程かかる。

私にとって これが一日の終りの至福の時なのだ。

丸いぼんやりとした白熱灯の優しい光にシガーの煙が霧のように漂う。

そして、エーゲ海にあるような、雪のような真っ白いリゾート・ホテルを連想してみる。
思わず、マティーニを注文しそうになる。

しかしそこにバーテンダーはいない。
この空間には誰もいない、私一人だけなのだ。

モルダウ河が海に達するように、私は雨垂れの音を聞きながら 思いにふける。

“Happy Ever After”

私は 光の陰影が投射された天井を眺めながら、思わず深い溜め息をつく。
何の回答も出てこない。

Deleteキイを押す。画面が白くなる。

私がシガーを吸うようになったのは5年前位からだろうか。

丁度その頃、私はタバコを止めていた。
もう禁煙してから1年が経とうとしていた。


ある日の夕方、携帯が鳴った。
私は彼女からと思い込み、おもむろにポケットから携帯を取り出すと着信画面も見ずに電話にでた。
「今日はどこで食事する?」と言ったのだが、相手は高校時代の友人だった。

久しぶりの会話だった。
思わず「元気だったか」と尋ねる。
友人は無言だった。

「どうしたのか」と私が尋ねると、Nが死んだと沈んだ声で言った。

一瞬、彼が何を言葉にしたのか分からなかった。
信じられなかった。

Nとは、よく一緒に合コンがてらスキーに行った。
いつもユーミンの曲を聴きながら、私たちは広島や島根のスキー場にあしげなく通った。

彼の滑りは最高だった。ゲレンデでは憧れの的だった。

思わずそんなシーンが脳裏をよぎる。

「なぜ死んだのかと」と聞き返す。
少しの間の沈黙の後、小声で友人が言った。


自殺だった。


彼は教員になるべく採用試験をずっと受けていた。
その間 臨時で高校の事務員として働いていた。

そして新規に臨時採用が決まった翌日に、自ら命を絶った。


私は急いで会社に戻り 仕事に取り掛かった。
クライアントに提出する 重要な資料を作成しなければならなかったからだ。

通夜にはいけないが、せめて葬儀には何が何でも出席しなければならないという使命感みたいなものだった。

葬儀は滞りなく平凡に執り行われた。

死者の儀式は、誰でも何処でも結局 普遍的なのだ。

ただ、私の虚無感だけが 薄い空気の中で渦巻いていた。

「弱い奴だ。」

それ以外に言葉というものがまったく浮かんでこなかった。

なぜ彼は死を選択したのか。そんなことはどうでもよかった。たいした問題ではない。


世の中には誤解というものはない。考え方の違いがあるだけなのだ。


棺桶の蓋を閉め、釘を打つ時 思わず涙がでた。
私は誰にも気づかれないように、スーツの袖でそれを素早く拭った。

やっぱり「弱い奴だ」と思った。


その日の夜は参列した友人達と遅くまで酒を飲んだ。
その時タバコを何本か吸った。

その2週間位後に葉巻を買ってしまった。タバコとは違うものだと勝手に思っていた。

スウィッシャー・スイートというバニラ風味のリトルシガーだった。
本当に興味本位だった。

それからキングエドワード、ダヌマン、アルカポネと10種類程吸ってみて、今のミュリエル・コロネラに決めた。
それ以来ずっとこれを吸い続けている。

味はココアとブランデーが混ざったような感じで、ほんのり甘い。

家では一日1本しか吸わないが、これがラウンジやクラブでは普通に吸っている。
まるでタバコを吸うかのように。

いつのまにか また、愛煙家に戻ってしまった。
「弱い奴だ。」

葉巻を吹かしている間、ゲレンデを颯爽と滑る彼の姿が 時より 瞼に浮かぶ。

本当にかっこいい奴だった。

彼はあきらめ、あるいは絶望し、あるいは沈黙し、最後に私の前から去って行った。

何も言わずに。


人々は入り口から入ってきて、出口から出ていく。

いろんな入り方があり、いろんな出方がある。
しかしいずれにせよ、最後はみんな出ていくのだ。

優しい光の中に漂う煙の中に、彼の口にした言葉や、彼の息づかいや、彼の口ずさんだ唄が、部屋のあちこちの隅に 霧のように漂っているのが見える。

“Why Should I Care ”  

それにしても、この雨はいつ止むのだろうか。

何となくB.J.トーマスの"Raindrops Keep Fallin' On My Head"060.gifを口ずさんだ。

そして再び Deleteキイを押した。




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# by DZE03247H | 2010-07-03 00:51

神原渓谷での日々

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私がこの空き家を借りたのは確か31歳位の頃だ。
その前は福岡市に住んでいたのだが、帰るには実家の敷居が何となく高かった。

そこで安心院町、津久見市、竹田市と色々な空き家を見て回った。
そして最後に竹田市の神原(こうばる)渓谷にある、この家に決めたのだ。

住み始めて1ヶ月半は殆ど大工そのものだった。
床から天井まで全て自分一人でやり替えた。
さらに絵画や掛け軸をおき、適所に間接照明を配置した。


我ながら上出来だと思うのだが、やはり本物の職人の仕事ではない。
そんなことは分かり切っている。
ただ、近隣の部落の住人達は 家の中を見て驚いていた。


民宿でもすればいいと本気で言う人もいた。
当然、冗談のつもりだろう思っていたのだが その1週間後に、なんとその人の紹介だと言って、本当にお客が来た。

大阪から来られたという年配の夫婦づれだった。
「やれやれ」と思った。


丁重にお断りしたが、どうも田舎暮らしに興味があるらしく、定年後はこんなところで余生を過ごしたいと ご主人は自分の夢を語りながら、私の作ったシティローストの豆を挽いて入れたコーヒーを3杯おかわりした。

「すぐそこの廃墟にコウモリがいますよ」と言ったら、ご主人は子供のように満面の笑みを浮かべて是非見てみたいと言うので、案内したのだが その日に限ってコウモリの姿はなかった。

「きっと散歩にでも行ってるんでしょう。」と私が言うと、「コウモリなんているわけないでしょ。」と奥さんは緊張感から解放されたように笑っていたが、本当にいるのだ。


その頃の私には、ご主人の夢が全く理解できなった。

ここは竹田市街地から20分程度の場所にある。
私はここで本当の「闇」を知ることとなる。
少し離れた場所に廃墟があるだけで、周りには民家が一軒もなく当然 街灯もなかった。

思わず、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を思い浮かべてしまう。
「闇」という無限の世界。


ただ、空は青く透き通り、雲の輪郭はくっきりと浮かび、さらに夜空は本当に美しかった。
星が近いのだ。

夜、家の電気を消して外に出ると まるで宇宙空間にいるようだった

そこには天国への階段があるかのように私には思えた。
当時は写真に写っている大きな橋はまだなかった。


私は2年間あまり借りていたが、その内1年半の間は実際に住んでいた。
友人達は皆応援してくれたが、当時付き合っていた彼女はただただ呆れていた。


谷底に家があるので、冬場は陽が差さず 洗濯物は背中のカゴにかるって裏山まで干しに行ったものだ。
「やれやれ」と思わず言葉がでる。


夕方になると薪を割って風呂を沸かす。
最初は何となく楽しかったのだが、数ヶ月もすると飽きてくる。
そのうち、近くの製材所に頼んで余った木材をもらってくるようになっていた。

この炎を調節しながらの、湯加減の塩梅が結構難しいのだ。


最初は七輪で生活していたが、2週間が限界だった。
生まれて初めてガスコンロのありがたさを痛感した。


渓流は雨が降ると、その様相は一変する。

豪雨時は床下は突然 濁流になる。
自分が座っているすぐ下を、川が凄まじい勢いで流れている。

何とも不可解極まりないと思う。

岩石がコンクリートの支柱に激突し、その度にガーンと凄い音がして、同時に家が激しく揺れる。

初めて体験した時は支柱が折れるのではないかと心配したが、二度、三度と経験するうちに慣れてしまった。
ただ、2回程 サッシのすぐ下まで水かさが上がった時はさすがに電化製品だけは2階へ運んだ。

避難警報も出たが、私は一度も避難したことがない。
私はこの家の耐久力を信じていた。決してこの家は流されないのだ。


ここでは、自然は癒しであり、また脅威だった。


ただ冬のある朝に窓ガラス8枚から見た、パノラマのような雪の結晶達の舞い落ちる様はいまだに忘れられない。
その時、部屋にはセリーヌ・ディオンのアヴェ・マリアの曲が流れていた。

私は思わず「出来過ぎだ」とつぶやいた。
そしてCDプレーヤーのリピートボタンをそっと押した。

神原渓谷に降る雪。川に降り注ぐ雪。まるで何かの儀式のようだった。

本当に信じられない幻想的で神秘的な光景を目の当たりにすると、人はきっとこんな感情に包まれるのだろうか。


私はここで、日中はフライフィッシングやテニスや温泉巡り、冬にはスキー そして毎夜の如くサックスを吹いた。
ここでは誰にも何にも干渉されることなく、真夜中でも思いっきり吹けるのだ。
私の横隔膜は全開する。


でも私は自然と共生するために、神原渓谷に来たのではなかった。
難関国家試験に挑むために ここにやってきたのだ。
しかし、もうこの頃になると 私は既にここにきた本来の目的を忘れてしまっていた。

大自然の中に解き放たれて、その持つパワーに感化されてしまったのか。



竹田市は城下町として有名だが、滝廉太郎の「荒城の月」に代表されるように音楽の町という一面もある。
ブルーフェニックスという、市 お抱えのJAZZ楽団もある。

そのメンバーたちは、会社員やあるいは農家や商店主だったりする。
まるでイタリア系のマフィアみいだと私は思った。


彼らは夜になるとボルサリーノの帽子を被り、チェスターフィールドコートに身を包み、コルトを胸に忍ばせ、とある波止場の第三倉庫で取引をするかのように動き出すのだ。


ある夜、私の家で飲み会があると、彼らは酒量が一定の域を超えた時点で、楽器に持ち替えられたコルトが火を吹く。

まず、即興でギターが鳴り始め、続いてトランペットの音色が聴こえ、さらにトロンボーン、サックスと、まるで撃ち合いのように、ジャムセッションが始まる。

これが明け方まで続くのだ。
「やれやれ」と言葉がでる。


こうやって、神原渓谷の一夜は静かに更けていくのだ。



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# by dze03247H | 2010-06-12 12:21

プロローグ

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ブログを開設する時はこの表題からと心に決めていた。これから私の大分での田舎暮らしの冒険が始まるのだ。
実は私はこの本をまだ最後まで読み終えていない。


私が村上春樹の作品と出合ったのは、確か浪人生の頃だったと記憶している。
予備校にも行かず、ろくに勉強もせず 図書館で小説ばかり、それもジャンルを問わず読みあさっていた。
そしてたどり着いたのがあの有名な「ノルウェイの森」だった。


当時私はこの作品が記録的なベストセラー小説だったとは全く知らなかった。

読み始めて、この独創的な文章のメタファーに圧倒されてしまった。
読み終えた後、その余韻に何とも言えない虚脱感と言い知れぬ侘しさからか数日間ぼーっとしてしまった。

18歳の私にはあまりに衝撃だった。今だにその記憶は鮮明に残っている。
私にはこの時、恋愛経験は未だなかったのだが、登場人物たちの心理描写はよく理解できた。
私はこの作品を通して、多分 疑似恋愛をしていたのだと今になって思うのだ。


村上作品の長編小説は今話題の「1Q84」を入れてもたった12作品しかない。
個人的には短編には興味がない。(数冊程読んだが)


当初、私は4作品程読んだ後で、残りの作品はリタイヤしてからでも遅くはないと考えていたが、最近それが大間違いであると感じはじめた。

それは、村上作品が私自身の人生に何かしらの影響を少なからず与えていると確信したからだ。
私はいつもまにか、村上ワールドにインスパイアーされていたのだ。


村上作品を読んでいると、エンドルフィンが分泌されるのか まるでランナーズハイのような状態になり、読破後 覚醒してしまう。

だから、未読の作品数とのバランスを考慮して年に2冊程度読むことにしている。
でも、ノーベル文学賞に一番近い人物と賞賛されながら、この作品数は極めて少ないと思う。
しかし61歳という年齢を考えるとまだまだ書けると信じている。


私は、このブログを通じて、趣味や日常のささやかで何気ない出来事を、そしてハードボイルドでワンダーランドな大分での田舎暮らしを伝えて行きたい思っている。

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

村上 春樹 / 新潮社


世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)

村上 春樹 / 新潮社


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# by DZE03247H | 2010-05-23 19:33 | 愛読書